金沢 幸彦

弁護士

金沢かなざわ 幸彦ゆきひこ

千葉県弁護士会所属

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生い立ち

私は、サラリーマンの家庭に生まれました。
父の仕事の関係で、北は北海道から西は大阪まで、引っ越しと転校を繰り返したのが、私の幼少期でした。いろいろな場所に住むことができ全国各地に友達ができたのは嬉しいことでしたが、転校生というのは楽しいことばかりではありませんでした。私が、運動音痴で、生まれつき若干の斜視を抱えていたこともあって、転校当初は確実にイジメられたのです。そこから徐々に打ち解け、最後は友達として信頼関係を築くというプロセスを経て、ようやく「安定飛行」に入ったと思ったら、また転校・・・といった有様でした。

※考えてみますと、この時期に、蔑まれ疎外される痛みを嫌というほど味わうとともに、他人に対する観察力、人間としての柔軟さや強さを身につけられたのかもしれません。

結局、私は一番多感な中高生の時期を大阪で過ごし、大学入学に伴って上京しました。

弁護士業務の根底

大学時代は登山サークルに所属しました。

大学生活を謳歌しすぎて、終電後の駅付近で野宿したり、いくつかの単位を失うこともありましたが、山行の際はサブリーダーを務め、登山先の下見、登山計画の立案、濃霧や道の寸断など不測の事態への対処、当日パーティーの先頭に立っての誘導など、得難い経験ができました。

※考えてみますと、山でのサブリーダーとしての仕事は、日々の弁護士業務にあたって踏まねばならないステップと不思議なほど共通点が多いのです。もしかすると、この時の経験が私の日々の業務の根底を流れているのかもしれません。

法律への興味

ただ、大学時代に自分の将来について、当時なりに真面目に悩んだのも確かです。
私は法学部出身者ではなく政治経済学部の出身であって、学部時代の専攻は国際政治学でした。ダイナミックな世界ではありましたが、そこでは
「POWER」(権力、国力)
「NATINONAL INTEREST」(国益)
という言葉が多用されていました。あらゆる国家は「国益」にかなう行動をするが、結局は「国力」がある国が勝利をおさめる(最大限に単純化していますし、そもそも私の理解が浅すぎる部分もあります)。・・・実は私はそんな世界に違和感を感じ、憲法によって人権が守られたり、法律という理性に基づくルールにのっとって社会生活の安定が保たれるという「法律」の世界に自分の興味が向かっていくのを止めることができませんでした。そこで、じっくりと法律を勉強して、法律の世界で仕事を見つけたいと考えるようになりました。

そこで張り切って辰巳法律研究所という司法試験予備校に通い始めましたが、あまりの難しさに数か月で挫折し、学校もドロップアウトしてしまいました。そして目標を裁判所事務官という国家公務員試験に切り替え、首尾よく裁判所事務官に任官することができました。

※政治学から法律学への転進という出来事が、将来を変えることになりました。

ターニングポイント

裁判所事務官としての日々は充実し快適でした。そして、国家公務員として大過なく勤め上げれば人生安泰だという、甘い考えがあったのも事実です。しかしながら、そううまくはいかず、ここでも転機が訪れます。

裁判所事務官時代には、いろいろな方から掛かってくる問い合わせのお電話に対して、内容的な相談に乗ることは厳禁でした。「内容的なアドバイスはできないんです。弁護士会などに相談してください。」という応答を、一体何度繰り返したのか分かりません。裁判所事務官レベルの法律知識でも、答えて差し上げられそうな質問も沢山ありました。もっともこれは、裁判所が公正中立を旨とするお役所であること、片方の当事者にアドバイスを与えて助力することができないこと、に照らせば仕方がないことではありました。

他方で私は、裁判所の内側から、弁護士や裁判官の姿を見て、彼ら彼女らが、自己の名前と全責任のもとにおいて自信をもって法律業務に邁進している姿を目の当たりにしました。その後は紆余曲折がありましたが、かわいがってくださった裁判官の方の激励もあって、結局私は、裁判所を退官して、司法試験の勉強を本格的に始めることとなったのでした。

壁と先生

司法試験の壁は思ったよりも高く険しく、合格しないまま何年もの日々が経過していきました。その間私は、小中学生相手の進学塾の専任講師として真剣に働き、生活の糧を得て、空き時間を勉強に充てていました。塾講師時代に任されたのは、成績上位者を名門校に送り込むことだけでなく、むしろメインとなったのは成績下位者のクラスのフォローでした。生徒さんやご父兄とのコミュニケーションを綿密にとって、なんとか退塾せずに学習を続けてもらうという、責任重大でハードともいえる業務内容でしたが、自分にはあっていた仕事のようで、嬉々として働いていました。

※このときの経験があるので、私は法律知識や法律問題をどなたにもわかりやすいように、説明して差し上げることができます。この能力だけは、人に負けない自信があります。

越えた先に

そして、本当に紆余曲折を経て、私は司法試験に合格することができました。あんなに高い壁だったのに、合格したときの順位は全体で60位くらいの成績でした。あっけないものでした。
はじめは都内の法律事務所に勤めていましたが、

千葉県松戸の地で独立開業し、よいパートナー弁護士にも恵まれ、日々ありがたく仕事をさせていただいています。松戸で開業してはや長きにわたりますが、この地区の皆様の実情にも次第に通暁してまいりました。

なお、私は弁護士業務に加え講師業や各種講演のお仕事もしており、弁護士業務とのシナジー効果を生んでいると自負しています。また、司法試験に苦労して合格した経験を買われ、これまで中央大学法科大学院や法政大学等で講師をさせていただき、現在は東京の高田馬場にある辰巳法律研究所というところ(かつて私がドロップアウトした予備校)で、司法試験受験生向けの講義を担当させていただいております。講師をしている関係もあって、最新の法改正や判例等の知識は日々アップデートをし続けています。

終わりに

私は、法律や裁判制度は、市民にとって利用しやすいものでなければならないと思っています。
人生の中では、不本意にも法的トラブルに巻き込まれてしまうことがあります。そんなとき、みなさんに法律や裁判制度をうまく利用していただくことにより、トラブルを根本的に解決するために、私たち弁護士がいるのです。

プロフィール

  • 大阪府茨木市立西陵中学校 卒業
  • 大阪明星高等学校 卒業
  • 早稲田大学政治経済学部政治学科卒業(大畠英樹ゼミ)、在学中は登山と野草調理のサークル「早大なべの会」に所属
  • 中央大学法科大学院修了
  • 都内法律事務所勤務を経て、松戸三岳法律事務所(現:まつさと法律事務所)設立
  • 辰巳法律研究所専任講師(全法律科目を担当)

趣味など

  • 美術館巡り(特に好きな画家はオディロン・ルドンとアンリ・ルソー)
  • 野球観戦(プロ野球、高校野球、東京六大学野球観戦を特に愛好)
  • バッティングセンター・ジム通い
  • 寺院・城跡訪問(遠方の寺院への日帰り旅行も辞しません)
  • 飲酒(日本酒と魚が大好きです)
  • 築地本願寺の朝の勤行に参加すること

過去の職歴

  • 裁判所事務官(千葉地方裁判所佐倉支部)
  • 市進学院専任講師(稲毛、検見川、我孫子、江戸川台、土浦の各教室で勤務)
  • 中央大学法科大学院講師(2014年度まで)
  • 法政大学公務人材育成センター講師

各種活動等(過去の所属も含む)

  • 市民サービス委員会、社会福祉委員会及び高齢者・障害者支援センター各委員(千葉県弁護士会松戸支部)。
  • 東京弁護士会倒産法部会
  • 東京弁護士会憲法問題対策センター(高校や中学への「憲法出前講座」を担当。訪問校は、慶應中等部、駒沢女子高、東京都立小山台高校、調布市立調布中学校など)
  • 東京ひまわり隊(東京三弁護士会主催の東日本大震災被災地訪問ボランティア)
  • 東日本大震災による原発事故被災者支援弁護団

個人ブログ

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